陸前高田市戸羽太市長による国連での演説(世界津波の日/津波防災の日)


2018年11月5日ニューヨーク国連本部にて2018 World Tsunami Awareness Day(世界津波の日2018)総会が開催された。世界津波の日制定の経緯については 拙稿ブログ http://www.ndrf-onagawa311.info/今日11月5日は津波防災(世界津波)の日です-1173.html をご参照ください。第3回目となる今年の総会は約2時間にわたり、現地時間5日午後1時50分(日本時間6日午前3時50分)岩手県陸前高田市戸羽太市長が、英語で約10分間のスピーチを行なった。スライドを用いて2011年3月11日東日本大震災の陸前高田での当時の被害状況、今後の市の復興計画について説明した。そのアーカイブ映像は国連のUN Web TVで配信している。(↓↓下の動画をクリックして戸羽市長の演説の様子をご覧ください。↓↓)

11・6追加情報

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第2回インド女川学会のお知らせ


来る10月20日國學院大學平成30年度ホームカミングデーにて、第2回インド女川学会を開催いたします。震災以降に交流がはじまったインドと女川町。その交流を軸にインドについて、女川について考え、それを発表する場。それがインド女川学会です。第2回インド女川学会の日時とプログラムは以下の通りです。今回もインド大使館の協力により、大使館VCC専属ヨガ講師のへマント・シャルマ先生による座りヨガの実演もあります。座ったままの状態で簡単にできるヨガです。皆さま奮ってご参加ください。※入場無料です。

第2回インド女川学会
日時:2018年10月20日(土)14:00~16:30
会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室

プログラム(開場13:30~)

14:00-14:10 開会のことば

14:20-14:50 東日本大震災でのインド国家災害対応部隊NDRFの活動および当時の女川町の被害状況について②(國學院大學研究開発推進機構学術資料センター共同研究員 / インド隊通訳 平本謙一郎 氏)

15:00-15:30 ナマステ・インディア in 女川町と日印の文化交流について(元・東京家政大学付属女子中学高等学校芸術科書道講師37年勤務 / 現・同校書道部コーチ・同大学ヨーガ講座講師 / 日本インド学生会議創設者 長浜浩子 氏)

15:40-16:10 特別ヨガ・デモンストレーション(インド大使館VCC専属ヨガインストラクター へマント・シャルマ 博士)

16:20-16:30 閉会のことば(~17:00閉場)

会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室
住所:〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
主催:インド女川学会 協力:在日インド大使館
ポータルサイト:http://www.ndrf-onagawa311.info/ナマステ・インディア in 女川町公式ツイッター:@namaste_onagawa



 


月命日(海外の地震)


10月11日は東日本大震災から数えて7年7ヶ月目の月命日。今朝は日本時間の早朝からM6~7クラスの地震が相次いだ。場所は以下の通り。


両地震ともに震源が約33㎞と浅く、津波の発生する恐れがあったが、幸いにも若干の海面変動で事なきを得た。ただ、遠隔地とはいえ、同じ環太平洋沿岸で発生しているのは気になるところだ。

ところで、今年も10月20日にインド女川学会が開催される。詳細はまた追って上げることにするが、震災の教訓を語り継ぎ、今後の防災減災を考えるキッカケになればと思う。(了)


月命日(7年前と7年後の女川町)


今からちょうど7年前の女川町。国道沿いには大量の瓦礫の山。この場所で女川湾から1km以上の地点。震災前はここから海も見えなかったし、住民でさえここまで津波が来るとは誰も思わなかった場所。それがこの付近。しかも到達した津波の高さは有に15m以上。場所によっては20mを超えていた。その様子は山の法面に付着した瓦礫や布などによって見てとれた。その凄まじさは津波の高さまで打ち上げられた住宅の屋根や車などが物語っていた。

宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜国道398号線(女川街道)付近 Around Route 398, “ONAGAWA KAIDO ROAD", Washinokamihama, Oshikagun Onagawacho, Miyagi Japan
宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜国道398号線(女川街道)付近
Around Route 398, “ONAGAWA KAIDO ROAD”, Washinokamihama, Oshikagun Onagawacho, Miyagi Japan

今、女川の町は急ピッチに復興が進んでいる。ここと同じ場所もかさ上げ工事が完了し整備され、新しい土地の上に災害公営住宅が建てられ、先々月末ようやく被災住民にその鍵が手渡されたばかりだ。7年後の3月11日。同じ場所に降り立ってみると、そこには新しい町があった。以前の面影はわずかな手掛かりを残すのみとなっていた。あの日あの時のことを想像すらできない。

 2018年3月冒頭の写真とほぼ同地点の様子
2018年3月ほぼ同地点の様子

話は変わって、先月下旬初めてタイ王国プーケット島のカマラビーチを訪ねた。今から14年前に起きたスマトラ島沖大地震の津波と被害を忘れないための津波祈念公園があるビーチ。ビーチに着いてもその当時の面影は全く無い。何があったのか想像もできない。もちろん防潮堤もない。でも、教訓はしっかりと生かされていた。津波危険エリアの明示と避難経路の確保。津波警報システムの導入などにだ。そして、その時に一番心に響いたのは実際の当時の写真だった。写真は良きにつけ悪しきにつけ雄弁だ。ありのままの現実をそのまま突きつける。でも、それは災害を他人事ではなく、自分事として考える一つのキッカケでもあり、またその事実が防災や減災について考える原点でもあることに改めて気づかされた。

時間とともに、記憶とともに、時代とともに、風化は進む。でも、決して忘れてはいけないこと。語り継いで行かなくてはならないこと。冒頭の写真が自分を守り、他人を守り、家族を守り、仲間を守る。災害から生命や財産を守る。そのことを考えるキッカケとなって貰えると有り難い。そして、新しく生まれ変わった町、女川へ皆に来てもらえると嬉しい。7年と1ヶ月の経つ東日本大震災の被災地は、まもなくその時を迎える。

当時目測で高さ30mほどはあった山の法面はその半分ほどに。一部法面の先端が地上に出ているだけだったので、かろうじてそこがどこであるのかわかる程度にまで、かさ上げ工事は進んでいた。場所の特定をするためのそれが唯一の手がかり。奥に見えるのは荒立災害公営住宅。
当時目測で高さ30mほどはあった山の法面はその半分ほどに。一部法面の先端が地上に出ているだけだったので、かろうじてそこがどこであるのかわかる程度にまで、かさ上げ工事は進んでいた。場所の特定をするためのそれが唯一の手がかり。奥に見えるのは荒立災害公営住宅。

月命日(女川町、集合型災害公営住宅の整備完了 荒立住宅で入居式)


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宮城県牡鹿郡女川町鷲神浜字荒立付近 Around Aradate, Aza, Washinokamihama, Onagawa-cho, Oshika district, Miyagi Pref.

今日は震災から6年11ヶ月目の月命日。来月で丸7年を迎える被災地は今。先月末に嬉しいニュースが入って来た。

女川町、集合型災害公営住宅の整備完了 荒立住宅で入居式 | 2018/1/29 – 河北新報 https://this.kiji.is/330464601417663585

先月28日に荒立地区のかさ上げ工事が終わり、すべての集合型災害公営住宅561戸が完成し、そのうち60戸の「荒立住宅」の入居式が行われたといった内容のものだ。あの日あのとき。それまでの生活があった。これからふたたび新しい生活がはじまる。でも、被災地全体からみれば、それはまだほんの一部。訪れるたびに変わる女川。またその地に行って、この目でたしかめて来よう。まもなくそのとき。合掌


台湾地震ー72時間の壁ー


台湾東部の花蓮市で2月6日23時50分(日本時間7日0時50分)頃、マグニチュード6.4の地震が発生。現地のホテルなど複数の建物が倒壊・損壊。現在までに9人が死亡、日本人を含む200人以上が負傷し、まだ連絡のつかない行方不明者が多数いる状態が続いているという。現地では余震も200回以上を数えており、二次災害の危険もある。そんな状況の中、現場では懸命の捜索が続いている。行方不明者の数はいまだ50人以上。倒壊・損壊した建物の中に閉じ込められている可能性が高い。しかし明日の夜には災害医療分野で生存の限界と言われる「72時間」を迎える。いわゆる「72時間の壁」である。一人でも多くの要救助者を救うための「時間との戦い」。ピンポイントで要救助者にアプローチする必要がある。そのためのスペシャリスト7人が、今日8日午前、台湾政府の要請を受けて日本から現地へ向かった。午後には現場での捜索に加わったという。活躍に期待したい。以下、これまでにあった出来事を一部ツイッター投稿で時系列にまとめておく。台湾加油!


月命日(女川町消防団出初式|津波避難の合言葉)


2018年1月5日女川町消防出初式が新しく整備されたJR女川駅前を中心に開かれた。女川町の出初め式は東日本大震災後、女川魚市場周辺で行ってきたが、今年は復興が進む町中心部に会場を移して初めて実施。震災後これまでは規模を縮小して行なわれていた行進出初式も、今回は110名の消防団員と15台の車輌を動員して行われ、そのパレードも復活した。最後には写真にもあるように色とりどりの一斉放水がイベントに花を添えた。

あの日あの時。インド隊と女川町消防団は現場で連携して行方不明者の捜索に当たっていた。事前の取り決めとして、行方不明者が発見された時は、まずは現場にいる警察に報告、そして現場での検証が済むと、女川町消防団の車両の出番となる。ブルーシートに包まれた行方不明者を車両に載せて、ご遺体を遺体安置所まで運ぶ。その役割をこの車輌が担っていた。

女川町消防団の緊急車両
女川町消防団の緊急車両

あれから今日で6年と10ヶ月。町とともに町の組織も徐々に整いつつある女川町。最後に女川消防署のこちらの標語をご紹介して結びとしたい。
(以下、女川消防署HPより一部抜粋)

津波避難の合言葉は・・

みなさん、子どものころ、火災避難訓練の時に、合言葉として「おはし」(「お」 おさない・「は」はしらない・「し」しゃべらない)と教えられ、避難した記憶 があると思います。

そこで女川消防署では津波避難の合言葉として「ひもでひく」を提案し今後 の津波での被害を食い止めたいと考えています。

○ひ ・・「避難を呼びかける」 避難しながら周りの人達に避難を呼び掛けてください。

○も ・・「戻らない」 一度避難したら自宅等に忘れ物をしても絶対に戻らないでください。

○で ・・「できるだけ高い所に逃げる」 津波の高さは予想を超えることがあります。できるだけ高い所へ逃げてください。

○ひ ・・「引き止める」 自宅等へ戻ろうとする人がいたら、戻らないように止めてください。

○く ・・「車に頼らない」

車で避難しようとすると渋滞が起き、避難に時間が掛かってしまい ますので、車での避難はできるだけ避け、徒歩や自転車等で逃げる ようにしてください。

(了)


第1回インド女川学会を終えて


第1回インド女川学会を終えて。今回は初めての試みということもあり、始まるまではどうなるかが正直わからなかった。しかしながら、いざやってみると思い描いた通りの成果のあった会合となった。振り返りの意味も込めて、ここで簡単に当日行われたプログラムを整理したい。

まず、開会のことばから。当日は台風21号接近による影響であいにくの雨模様。参加者の出足も多少鈍っていたため、開始時間を10分ほど遅らせてのスターとなった。

一つ目の発表は私、平本による女川町ついての発表。東日本大震災被災直後の女川町の様子を、画像と動画とともに振り返り、そこにインドから行方不明者の捜索のために派遣された、インド国家災害対応部隊NDRFの活動を、時系列に絡めつつ、それをプレゼン資料とともにご覧いただいた。そして、最後に現場から得られた経験に基づく、今後の災害に対する防災・減災へのヒントについて、実話の中でお話させていただいた。

二つ目の発表はインド大使館職員渡邊太一氏によるインドについての発表。インド全般についての基本的な事柄を、わかりやすいプレゼン資料とともにご紹介いただいた。インドの文化・経済・宗教は言う及ばず、インド国家災害対応部隊NDRFの成り立ちや組織について、震災以降に始まったインドと女川との交流についても詳しくお話をいただいた。

三つ目の発表は平本・渡邊の2人で女川町の魅力について、私たちも参加をし、2014年からスタートした、國學院大學研究開発推進機構学術資料センター主催「國學院大學金華山女川スタディーツアー」の報告を軸に、発表をさせていただいた。具体的には被災直後の金華山黄金山神社の映像や、そこでの学生ボランティア活動などをご覧いただきながら、観光地としての金華山の魅力を紹介、渡邊の方からは新しく生まれ変わった女川駅前商店街「シーパルピア女川」に店を構える店舗のご案内、私からはその商店街の一角に位置する「女川さくら咲く地蔵尊」のご紹介をさせていただいた。

四つ目の発表は今回特別に招聘したインド大使館VCC専属ヨガインストラクター、へマント・シャルマ博士による「健康のためのヨガ」のレクチャーとデモンストレーションおよび実践からなるワークショップ。今回の学会の最後に長時間お付き合いをいただいた参加者や被災地にいる被災者の心と体の健康と疲れを癒すための方策としてのヨガを実践していただいた。レクチャーおよびデモンストレーションは基本的には英語で行われたが、レクチャーに用いられたプレゼン資料には日本語が併記されており、またデモンストテーションでは適宜英日通訳を入れさせていただいたので、問題なく参加者の皆様にヨガの奥深さと素晴らしさを、実際に感じそして触れていただけたのではないかと自負しています。その模様は在日インド大使館公式フェイスブックと、同公式ツイッターにも掲載されましたので、一部ご紹介いたします。

へマント・シャルマ博士の発表のあとは、時間も押していた関係で、流れ解散のような形になりましたが、今回の第1回インド女川学会の成功を受けて、今後2回、3回は女川町あるいはインドで開催するのも一考だとも思いました。最後にお足元のお悪い中、今回の会場である國學院大學渋谷キャンパスまで足を運んでいただきました、参加者の皆様ならびに、ご協力をいただきました関係者の皆様全員に、心からの感謝を申し上げたい思います。どうも有り難うございました。(了)


第1回インド女川学会


いよいよ明日10月21日(土)午後1時に開催です。当日は全国院友会支部物産展も同時開催、女川町の物産も販売されます。

※本学会は2017年日印友好交流年記念事業として外務省より認定を受けております。(認定番号JI056)http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page25_000627.html

※※公益財団法人 日印協会 様 にもご紹介をいただきました。http://www.japan-india.com/release/view/900

皆さまのご来場をお待ちしております。

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会

 

インド女川学会設立趣意書

2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分。未曽有の大災害「東日本大震災」が発生。世界各国から支援の手が差し伸べられた。その中の一国である「インド共和国」。近年の経済的発展を背景に友好国日本の危機的状況を鑑み、自国で実績のあった人命救助のスペシャリスト集団「インド国家災害対応部隊 NATIONAL DISASTER RESPOSE FORCE」(通称 NDRF)の国外派遣を決定。総勢 46 名の NDRF 部隊を被害の大きかった宮城県女川町に派遣した。今年であれから 6 年。被災地では復興が進む半面、時の流れとともにその出来事が風化しつつある。実際 2013 年より毎年行われている國學院大學研究開発推進機構学術資料センター主催「金華山女川スタディーツアー」の学生参加者も、開始当初は多くの参加者があったものの、その数は減少傾向にあり、昨年度は 1 人となった。

一方、震災をきっかけに始まった女川町とインドの友好関係は年々活況を呈しており、今年も 5 月に行なわれた NPO 法人日印交流を盛り上げる会主催「ナマステ・イン・女川 2017」は大いに盛り上がった。しかしながら、インドと女川との関係について、それが東日本大震災がきっかけとなったと知るものは必ずしも多いとは言えない。ゆえに、女川を知ること。インドを知ること。それが東日本大震災の風化を防ぐことになりはしないか?それをきっかけに様々な興味と関心と角度から女川を学び、インドを学ぶ。それが相互理解と新しい日印友好の礎となりはしないか?そのような観点と趣旨により「インド女川学会」を設立するものである。皆さまの寛大なるご理解とご賛同をいただければ幸いです。

2017年 10月 21日 設立


月命日(第1回インド女川学会)


今日10月11日は東日本大震災から6年と7ヶ月目の月命日。あの日午後2時46分にM9.0、最大震度7という史上最大の巨大地震が発生。その約45分後の午後3時30分、津波が沿岸部に次々と襲いかかる。津波に襲われた町は壊滅、津波から逃げ遅れた人、避難所にいたにもかかわらず、想定外の津波に流された人、自分の命も顧みず、ギリギリまで懸命に人命救助を行った人など、多くの人が犠牲となった。震災から今日で6年7ヶ月。だが、いまだに行方不明の人も多い。町もようやく復興の途に着いた感がある。まったく手の着いていないところもある。これからさらに時間を要するところもある。その現状をどれほどの人が認識しているだろうか。

震災から2週間後の3月28日未明、インドからやって来た国際緊急援助隊46名(通称NDRF)は成田空港に降り立った。そこから約10時間をかけて宮城県へ移動。3月30日から4月5日までの7日間、宮城県女川町で行方不明者の捜索および救助救援活動に従事し、7人のご遺体と1匹の犬の遺骸を発見していたことをどれほどの人が認識しているだろうか。あの日現場で一体何があったのか。それらの出来事から私たちが学ぶ事は多い。近い将来必ず来るであろう次の巨大地震への防災・減災対策にもつながるヒント。それを活かさなければまた同じことの繰り返しになってしまう。

正しい認識につなげるため、自戒と教訓の意味を込めて、この度10月21日(土)國學院大學ホームカミングデーの場をお借りして、「第1回インド女川学会」を開催することになりました。詳細はこちらのポスターをご参照ください。日時はまもなく10月11日午後2時46分。犠牲者の方のご冥福と、2度と同じ悲しい思いを繰り返さぬよう、多くの方のご来場とを祈念して。(了)

第1回インド女川学会
第1回インド女川学会