東日本大震災から8年。平成31年3月11日(月)午後2時より東日本大震災女川町追悼式が、今年も女川町総合体育館大体育室にてしめやかに執り行われました。当日は強い雨模様の中、在京インド大使館からはサンジャイ・クマール・ヴァルマ駐日インド全権大使の代理として、ラージ・クマール・シュリヴァスタバ首席公使が、昨年度に引き続き来町されて、代表献花に臨まれました。会場に到着するまでの間に、地元の小さなカフェ「おちゃっこクラブ」に立ち寄り、地元の方々から当時の地震と津波の様子や、津波ご遺族の方々のお話に耳を傾けていらっしゃいました。また、震災当時のインド国家災害対応部隊NDRFの、女川町での活動をよく知る、おちゃっこクラブオーナー岡裕彦さんからは、当時のお話をうかがうとともに、インド隊に対して感謝の言葉もいただきました。
カテゴリー: インド
いよいよ3月10日(日)開催|仙台防災未来フォーラム2019
プレゼンテーション|大規模災害時における国際緊急援助隊の役割|言葉と文化の壁を越えて―東日本大震災インド国家災害対応部隊NDRF女川町での救援活動を中心に―|仙台国際センター@15:50-16:40
いよいよ3月10日(日)開催|仙台防災未来フォーラム2019
大規模災害時における国際緊急援助隊の役割|言葉と文化の壁を越えて―東日本大震災インド国家災害対応部隊NDRF女川町での救援活動を中心に―
プレゼンテーションは@15:50-16:40|仙台国際センター展示棟会議室3-A| フォーラム全体の詳しい情報は 仙台防災未来フォーラム2019ホームページ / 仙台防災未来フォーラム2019フェイスブック をご参照ください。
『言葉と文化の壁を越えて。。。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川町。インドから初めて日本へやって来た46名の救助隊員たち。現場で実際にあった出来事を中心に、国際緊急援助隊の役割、災害時通訳のあり方、何をどのようにすればよかったのかなど、当時を振り返りながら、今後の防災・減災について考えます。』
プレゼンター( 元インド隊NDRF災害時通訳兼コーディネーター)
國學院大學研究開発推進機構学術資料センター共同研究員 平本謙一郎
インド大使館ヴィヴェーカナンダ文化センター職員 渡邊太一
予定
新駐日インド全権大使にサンジェイ・クマール・ヴァルマ氏が就任
インド本国により前任のスジャン・R・チノイ駐日インド全権大使の後任として、サンジェイ・クマール・ヴァルマ氏が指名されていましたが、本日17日日本国天皇陛下よりヴァルマ氏に、正式に信任状が手渡され、晴れて新駐日インド大使に就任されました。同大使の氏名等は,以下のとおりです。本邦駐箚インド大使 サンジェイ・クマール・ヴァルマ 閣下 His Excellency Mr. Sanjay Kumar VERMA Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of India
H.E. Mr. Sanjay Kumar Verma presented his letter of credence to His Majesty, the Emperor of Japan Akihito. His Majesty felicitated him on his appointment as #Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of #India to #Japan @IndianDiplomacy @MEAIndia pic.twitter.com/LbDA7baYEs
— India in Japanインド大使館 (@IndianEmbTokyo) 2019年1月17日
【駐日インド大使の信任状捧呈】
サンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日インド大使は,17日,信任状を捧呈しました。https://t.co/5A4qWoXEcC— 外務省 (@MofaJapan_jp) 2019年1月17日
大使閣下の略歴 (在日インド大使館オフィシャルホームページより)https://www.indembassy-tokyo.gov.in/jp/ambassador_jp.html
第2回インド女川学会のお知らせ
来る10月20日國學院大學平成30年度ホームカミングデーにて、第2回インド女川学会を開催いたします。震災以降に交流がはじまったインドと女川町。その交流を軸にインドについて、女川について考え、それを発表する場。それがインド女川学会です。第2回インド女川学会の日時とプログラムは以下の通りです。今回もインド大使館の協力により、大使館VCC専属ヨガ講師のへマント・シャルマ先生による座りヨガの実演もあります。座ったままの状態で簡単にできるヨガです。皆さま奮ってご参加ください。※入場無料です。
第2回インド女川学会
日時:2018年10月20日(土)14:00~16:30
会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室
プログラム(開場13:30~)
14:00-14:10 開会のことば
14:20-14:50 東日本大震災でのインド国家災害対応部隊NDRFの活動および当時の女川町の被害状況について②(國學院大學研究開発推進機構学術資料センター共同研究員 / インド隊通訳 平本謙一郎 氏)
15:00-15:30 ナマステ・インディア in 女川町と日印の文化交流について(元・東京家政大学付属女子中学高等学校芸術科書道講師37年勤務 / 現・同校書道部コーチ・同大学ヨーガ講座講師 / 日本インド学生会議創設者 長浜浩子 氏)
15:40-16:10 特別ヨガ・デモンストレーション(インド大使館VCC専属ヨガインストラクター へマント・シャルマ 博士)
16:20-16:30 閉会のことば(~17:00閉場)
会場:國學院大學渋谷キャンパス3号館3307教室
住所:〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
主催:インド女川学会 協力:在日インド大使館
ポータルサイト:http://www.ndrf-onagawa311.info/ナマステ・インディア in 女川町公式ツイッター:@namaste_onagawa
ナマステ・インディア in 女川町 2018
今年も女川町にナマステ・インディアがやって来る!来たる5月4日(金・祝)日本最大級のインドの祭典、ナマステ・インディアが女川町にやって来ます。入場は無料で、会場は女川町まちなか交流館です。開場10:30/開演11:00〜16:00まで。今年はインド政府ICCR派遣オリッシー舞踊「ソナリ・モハパトラ舞踊団」を筆頭に、インド人・日本人を含めたダンサーたちが、ステージで華麗な舞を披露します。その他、ヨガ体験やサリーの着付け体験、インドのスナックやカレーなどの物販販売、インド文化紹介コーナー、そして今年もインド往復航空券が当たる!?ステージ大抽選会も予定しています。抽選券は当日会場でお配りしますので、GWはぜひ女川へ!
なお、今回は5月3日(木・祝)に「ソナリ・モハパトラ舞踊団」が、在日インド大使館公演に先駆けて、女川町で一回だけの特別公演を行ないます。舞踊団のプロフィールについては、こちらのポスターをご覧ください。会場は女川町まちなか交流館です。時間は14:00〜14:40です。貴重な機会をお見逃しなく!
月命日(7年前と7年後の女川町)
今からちょうど7年前の女川町。国道沿いには大量の瓦礫の山。この場所で女川湾から1km以上の地点。震災前はここから海も見えなかったし、住民でさえここまで津波が来るとは誰も思わなかった場所。それがこの付近。しかも到達した津波の高さは有に15m以上。場所によっては20mを超えていた。その様子は山の法面に付着した瓦礫や布などによって見てとれた。その凄まじさは津波の高さまで打ち上げられた住宅の屋根や車などが物語っていた。
今、女川の町は急ピッチに復興が進んでいる。ここと同じ場所もかさ上げ工事が完了し整備され、新しい土地の上に災害公営住宅が建てられ、先々月末ようやく被災住民にその鍵が手渡されたばかりだ。7年後の3月11日。同じ場所に降り立ってみると、そこには新しい町があった。以前の面影はわずかな手掛かりを残すのみとなっていた。あの日あの時のことを想像すらできない。
話は変わって、先月下旬初めてタイ王国プーケット島のカマラビーチを訪ねた。今から14年前に起きたスマトラ島沖大地震の津波と被害を忘れないための津波祈念公園があるビーチ。ビーチに着いてもその当時の面影は全く無い。何があったのか想像もできない。もちろん防潮堤もない。でも、教訓はしっかりと生かされていた。津波危険エリアの明示と避難経路の確保。津波警報システムの導入などにだ。そして、その時に一番心に響いたのは実際の当時の写真だった。写真は良きにつけ悪しきにつけ雄弁だ。ありのままの現実をそのまま突きつける。でも、それは災害を他人事ではなく、自分事として考える一つのキッカケでもあり、またその事実が防災や減災について考える原点でもあることに改めて気づかされた。
時間とともに、記憶とともに、時代とともに、風化は進む。でも、決して忘れてはいけないこと。語り継いで行かなくてはならないこと。冒頭の写真が自分を守り、他人を守り、家族を守り、仲間を守る。災害から生命や財産を守る。そのことを考えるキッカケとなって貰えると有り難い。そして、新しく生まれ変わった町、女川へ皆に来てもらえると嬉しい。7年と1ヶ月の経つ東日本大震災の被災地は、まもなくその時を迎える。
月命日(女川町、集合型災害公営住宅の整備完了 荒立住宅で入居式)
今日は震災から6年11ヶ月目の月命日。来月で丸7年を迎える被災地は今。先月末に嬉しいニュースが入って来た。
女川町、集合型災害公営住宅の整備完了 荒立住宅で入居式 https://t.co/VOBHE2pBI0
— 河北新報オンラインニュース (@kahoku_shimpo) 2018年1月28日
女川町、集合型災害公営住宅の整備完了 荒立住宅で入居式 | 2018/1/29 – 河北新報 https://this.kiji.is/330464601417663585
先月28日に荒立地区のかさ上げ工事が終わり、すべての集合型災害公営住宅561戸が完成し、そのうち60戸の「荒立住宅」の入居式が行われたといった内容のものだ。あの日あのとき。それまでの生活があった。これからふたたび新しい生活がはじまる。でも、被災地全体からみれば、それはまだほんの一部。訪れるたびに変わる女川。またその地に行って、この目でたしかめて来よう。まもなくそのとき。合掌
月命日(女川町消防団出初式|津波避難の合言葉)
2018年1月5日女川町消防出初式が新しく整備されたJR女川駅前を中心に開かれた。女川町の出初め式は東日本大震災後、女川魚市場周辺で行ってきたが、今年は復興が進む町中心部に会場を移して初めて実施。震災後これまでは規模を縮小して行なわれていた行進出初式も、今回は110名の消防団員と15台の車輌を動員して行われ、そのパレードも復活した。最後には写真にもあるように色とりどりの一斉放水がイベントに花を添えた。
あの日あの時。インド隊と女川町消防団は現場で連携して行方不明者の捜索に当たっていた。事前の取り決めとして、行方不明者が発見された時は、まずは現場にいる警察に報告、そして現場での検証が済むと、女川町消防団の車両の出番となる。ブルーシートに包まれた行方不明者を車両に載せて、ご遺体を遺体安置所まで運ぶ。その役割をこの車輌が担っていた。
あれから今日で6年と10ヶ月。町とともに町の組織も徐々に整いつつある女川町。最後に女川消防署のこちらの標語をご紹介して結びとしたい。
(以下、女川消防署HPより一部抜粋)
津波避難の合言葉は・・
みなさん、子どものころ、火災避難訓練の時に、合言葉として「おはし」(「お」 おさない・「は」はしらない・「し」しゃべらない)と教えられ、避難した記憶 があると思います。
そこで女川消防署では津波避難の合言葉として「ひもでひく」を提案し今後 の津波での被害を食い止めたいと考えています。
○ひ ・・「避難を呼びかける」 避難しながら周りの人達に避難を呼び掛けてください。
○も ・・「戻らない」 一度避難したら自宅等に忘れ物をしても絶対に戻らないでください。
○で ・・「できるだけ高い所に逃げる」 津波の高さは予想を超えることがあります。できるだけ高い所へ逃げてください。
○ひ ・・「引き止める」 自宅等へ戻ろうとする人がいたら、戻らないように止めてください。
○く ・・「車に頼らない」
車で避難しようとすると渋滞が起き、避難に時間が掛かってしまい ますので、車での避難はできるだけ避け、徒歩や自転車等で逃げる ようにしてください。
(了)
新春の恒例行事、消防団員が火消しの心意気を示す「消防出初式」が女川町で行われました。復興が進み会場が十分確保されたことに伴い、今年は震災後初めて団員による行進が復活しました。また一斉放水が行われ、赤や青などカラフルな水のアーチが大空に描かれました。 pic.twitter.com/Nm8ac7zKsz
— TBC東北放送 報道部 (@TBC_houdou) 2018年1月5日
NEWS石巻かほく:女川で消防出初め式 震災後、中心部で初実施 団員たち分列行進 https://t.co/8pykKvTsCN
— メディア猫の目 (@MediaNekonome) 2018年1月6日
月命日(旧女川交番について)
今日12月11日は東日本大震災から6年と9ヶ月目の月命日。それに先立ち女川町では10日、震災の大津波により横倒しとなった「旧女川交番」について、一帯は5メートルの高さに盛り土してメモリアル公園として整備するものの、交番が横倒しになっている所だけは、被災の様子や津波のすさまじさを正確に伝えることを重視して、①盛り土をせずにそのままの状態で保存すること。②周囲の高さから「交番」まではスロープを設けて近づけるようにし、スロープの壁には震災から復興までの道のりを伝えるパネルなどを展示すること。などの保存方法の方針を、震災当時近くに住んでいた住民らに、町の職員が現地で説明会を実施。交番を遺構として整備する費用はおよそ4000万円が見込まれ、2020年7月までに震災遺構として整備される。
インド隊NDRFが行方不明者の捜索に入ったときは、現場にはまだ「旧女川交番」のほかに「江島共済会館」「女川共同ビル」の合計3つのビルが横倒しとなった状態で残っていた。部隊はすべての建物の内部もくまなく捜索。残念ながら行方不明者の発見までには至らなかったが、物言わぬそれら横倒しになった建物が、そのときあった多くの出来事を静かに物語る。(了)
【横倒しの旧女川交番を「震災遺構」に 住民らに説明 宮城】東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町の「旧女川交番」について、町は震災遺構として被災当時の姿を残す形で保存する方針を固め、現地で説明会を開きました。 https://t.co/EMmm6txqU3
— NHK生活・防災 (@nhk_seikatsu) 2017年12月10日
コバルトーレ女川
コバルトーレ女川。このサッカーチームをご存じだろうか。コバルトーレ女川は平成18年4月にアマチュアサッカーチームとして誕生。宮城県女川町を拠点としたサッカーチームで、現在は東北社会人リーグ1部に所属する。そのコバルト―レ女川は本日11月26日JFL昇格を決める大一番を迎える。
平成23年3月11日午後2時46分東日本大震災が発生。その後の津波により壊滅的な被害を受けた女川町。人口約1万人に対して1割の人が津波の犠牲となった。その中の1人に佐藤順子さんがいた。震災前、順子さんはコバルト―レ女川のスポンサー企業である蒲鉾本舗髙政に勤務していた。そこに当時21歳のコバルトーレ女川ゴールキーパー、泉田圭太さんがやって来る。順子さんは同じ職場の同僚として、コバルトーレ女川のサポーターとして、ときに「女川のお母さん」として泉田さんをバックアップ。泉田さんも徐々に職場に溶け込めるようになっていく。そんな中で起こった東日本大震災。泉田さんは高台に避難して無事だったが、順子さんは…そのストーリーは2014年11月25日(火) に放送されたNHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』に詳しい。
一方で僕と佐藤順子さんとの出会いは2012年2月、正確に言えば2011年4月2日、順子さんの息子、佐藤行義さんとの出会いにさかのぼる。あの日あのとき行義さんから『俺のおっかあを見つけてほしい』そういった要望がなければ、この出会いはなかっただろう。その様子はこちらの新聞記事をご覧いただきたい。その場で順子さんはインド隊の手により発見された。
それから1年後の2012年2月、僕は初めて写真の中の順子さんと対面した。穏やかで優しい笑顔がとても印象的だった。そして次に偶然順子さんと再会したのが、2014年11月NHK総合『地方発 ドキュメンタリー 我らが“被災地サッカーチーム”』番組放送中だった。映像には順子さんの娘、和田祐子さん(行義さんの妹)の胸にしっかりと抱かれた、在りし日の順子さんの姿があった。いつまでも変わらぬ穏やかで優しいあの笑顔…番組での祐子さんによると、コバルト―レ女川の女川で行われる試合には、必ず順子さんの遺影を持って行くのだという。そこで僕は初めて順子さんがコバルトーレ女川の熱烈なサポーターであったことを知った。
そして、今日午前10時45分。まもなく全国地域チャンピオンズリーグ2017決勝ラウンド第3戦、コバルト―レ女川vsアミティエSC京都 がはじまる。場所は千葉県市原市のゼットエーオリプリスタジアム。これに勝てばコバルトーレ女川がJFLに昇格する大事な試合。順子さんも選手たちの活躍を、きっと天国から見守っているに違いない。
P.S 試合の模様は有明放送局で無料ネット中継される予定なので、是非試合を見て応援していただきたい。ネット中継放送局のURLはコチラ → http://ariake.tv/live/